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石川竜一、曽田浩隆
Ryuichi Ishikawa, Hirotaka Soda
showcase #14 "日本のエッジ、日本語のエッジ" curated by minoru shimizu
showcase #14, 2026
日本のエッジ、日本語のエッジ
石川竜一(1984-)については、紹介の必要はないでしょう。2012年キヤノン写真新世紀佳作(清水穣選)で注目されるや、あれよと言う間に2014年に木村伊兵衛賞を受賞し、以降、沖縄に拠点をおいて活躍しています。性別、人種、職業…を異にするさまざまな沖縄人を彼らの日常とともに生き生きと撮影した「Okinawan Portraits」のシリーズが代表作です。2014年のshowcase#3「日本の肖像」以来の再登場ですが、いま作家は、10年経ってふたたび肖像という主題に向かい合っています。かつてのOkinawan portraitsが、沖縄の人々を彼らが暮らす環境とともに活写したとすれば、新作は、人物の一人ひとりをより深く見つめることを通じて、彼らの生の全体、ひいては沖縄の現在を、浮かび上がらせようとするのです。
近年注目を集め始めている現代書の傾向、「現代美術としての書」とは、書を、言葉を主題とし言葉を表現する現代アートとして再定義するもので、曽田浩隆(1974-)はこの傾向の最先端を走る作家の一人です。「言語を主題とし言語を表現する」とは、言葉が、徹頭徹尾レディメイドであり、その本質が人間社会の根本的な政治性に根ざしていることの認識です。言葉は、特定の誰かの創作物ではありませんが、自然発生はしないから人工物であり、新生児に対して「すでに出来上がった」ものとして与えられる「レディメイド」です。しかも、差異化した音声の体系としてつねに変化し続けるものであり、明確な国境線を持ちません。それを個別の「国語」として分離したのは、18世紀に興隆した「ナショナリズム」という政治にほかならないでしょう。文字の体系に至っては、人間の記憶能力を上回る大量の人口とそれに伴う大量のデータを扱うようになった社会が発明した、あからさまな人工物であり、それが個々人の書記から、印刷媒体と結びつく段階になるにつれて、さらに正書法という規範へと転じます。日本語を日本語として角付けた「国語」「母国語」「文字」「正書法」はすべて、政治の産物であり、政治が日本語につけたエッジこそ、曽田浩隆のテーマです。カンヴァスにアスファルト補修材で詩のような短文(自作であったり引用であったりする言葉)が書かれていますが、その「日本語」は、なんと漢字とアルファベットで綴られています。反則的な綴方は、正書法というものの根拠のなさを逆照しています。
2026年のshowcase#14は、日本の端(エッジ)、沖縄で新たな肖像を試みる石川竜一に、日本語の端(エッジ)を問い続ける曽田浩隆を合わせる2人展です。とくに、今回は二人の作品を混在させた展示にしました。ふたつのエッジの共鳴を聴きに、ぜひ展覧会を訪れてください。
2026年4月
清水 穣
eN arts
〒605-0073 京都府京都市東山区祇園町北側627 40 円山公園内八坂神社北側 eN arts
Open: 4.17 Fri. –5.17 Sun.
Closed: Mon. Tue. Wed. Thu.
12:00 - 18:00
入場無料 | Free
キュレーター | Curator: 清水穣 | Minoru Shimizu
プリント協力 | Printing support: キヤノン株式会社 | Canon Inc.