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平川典俊
Noritoshi Hirakawa
母は私、私は娘
自我を共有する一卵性母娘
互いの衣服を交換した母娘が自宅で並んで写真におさまっている。母親が着ているのは娘がボーイフレンドとデートをする時の服であり、娘が着ているのは母親が夜、夫とベッドに入る時の服である。一見して即座に感じるのは、そこに漂う何か不穏な気配であり、それは鑑賞者を落ち着かない心持にさせる。だが、それは互いの不釣り合いな服装のためでも、あるいは他人の家を覗き見しているような感覚に陥るためでもない。これら一連の写真がその中心にとらえているのは、実際に被写体となっている母や娘、彼女らが暮らす家などといったものではなく、それら全てにとりついている「見えない異性」の存在である。娘にとってそれは、昼間の父親の姿からは想像もつかない性的な存在としての父親であり、母親にとってそれは若くてかっこいい(はずの)娘のボーイフレンドである。「母は娘と一体化することで、失われた若さと欲望を取り戻そうとします。娘は母と一体化することで、無意識のうちに求めてやまない『大人の男』に触れようとします」平川は言う。「現代の母と娘は時に一つの自我を共有するのです。フロイトはエディプス・コンプレックスと自我の問題を発見したが、もし彼が現代に生きていれば間違いなく、母娘の一体化やそれにより共有される自我、もしくはその交換可能性について言及していたでしょう」。
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