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澤田華、谷平博
Hana Sawada, Hiroshi Tanihira
showcase#12 "現実の⾏⽅" curated by minoru shimizu
showcase #12 curated by Minoru Shimizu 現実の⾏⽅ 第12 回目のshowcase は、驚くほど緻密に書き込まれた鉛筆ドローイングで注⽬された⾕平博(たにひらひろし1982⽣、初登場)と、2017年度キヤノン写真新世紀優秀賞(Sandra Phillips選)を受賞してから活躍著しい澤⽥華(さわだはな1990年⽣、2018年以来再登場)を取り上げる。 ⾕平の作品では、⼤⾃然の中でシャーマンと化した⼈物が、硬い鉛筆で精緻に描きこまれている。写真は、その登場以来、⾁眼に⾒えないものを次々と映像化してきた(最果ての⾃然や宇宙の写真、コンマ以下の瞬間を捉える科学写真やスポーツ写真、⼼霊写真…等々)その結果、我々の知る「現実」は、可視と不可視を問わず、もはやすべてありふれた写真と成り果てたと⾔って良い。写真こそが現実だ、写真のように描かないと⼈はもはやリアルだと⾔ってくれない……1970年代に⽣じ、いまだにYouTubeなど巷でよく⽬にする、スーパーリアリズムのドローイングは、その事実の⽪⾁な表現なのだ。それとは異なり⾕平は、写真化した「現実」を超えるもの、写真に写らないものを求めて鉛筆を握る。紙⾯を刻むような⾕平作品の本質、その超細密の線の輻輳から⽣まれる灰⾊の輝きの美しさは、そのコンセプトからして写真に写らない。必ず実物を⾒てほしい。 さて、写真とはつねに「何か」の写真である。この「何か」、すなわち写真の指⽰対象(レフェラン)は、写真の外に存在する現実とみなされてきた。澤⽥華の対象は、インターネットで出会う画像である。それはすべてスキャンされた画像であり、⾔い換えれば真空パック画像である。ここで澤⽥は、真空パックを切開し、現在可能なデジタル的⼿法を駆使して、ぺちゃんこになった画像を三次元に復元することで、かつて存在した「何か」、すなわち写真の外部へと遡⾏しようとする。いったいそんな「何か」は現実に存在したのか、しているのか?もっとも、かつて存在した「何か」を澤⽥⾃⾝も信じているわけではない。澤⽥作品は懐疑的な遊戯性に満ち、むしろ「かつて存在した何か」から完全に切れてしまった現在のデジタルイメージのあり⽅をユーモラスに浮かび上がらせる。 2024年4⽉、清⽔ 穣
eN arts
〒605-0073 京都府京都市東山区祇園町北側円山公園内八坂神社北側
4.12 Fri.–5.12 Sun.
12:00–18:00
Closed: Mon. Tue. Wed. Thu.
12:00 - 18:00
入場無料
キュレーター|Curator: 清水穣|Minoru Shimizu