11
豊田有希
Yuuki Toyoda
あめつちのことづて
時を遡ると約15km離れた漁村から、1日に1度か2度、天秤棒の両端に下げ、魚を行商が売りにきていたという。道のない時代の生活圏は今とは異なるのではないだろうか。 山の作物は海へ、海で獲れた魚は山へ。 海と山、互い結う暮らしがあった。 この黒岩地区は、水俣病の原因となったチッソ水俣工場のある水俣市から約40km離れた山間集落だ。この日常のふとした会話や動作に水俣病の影が現れ、そこに気づくかどうかは私も周囲も本人ですら定かではない。認定、未認定、未申請、公式確認以前など含め被害の人数はいまだ正確にはわからない。そして数で言えば数でしかないない。水俣病の本質は数で数えられるようなことではないだろう。 利便性を追求しようと社会を発展させていく。その影で失くしたもの、失くそうとしているものがあるかもしれない。 ただそこにそっと在る、言葉にならない言葉を、天地のことづてに耳を傾け、淡々と見つめたい。
ギャラリーヒルゲート
〒604-8081 京都市中京区天性寺前町535