KG+ 2022

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平本成海、吉村泰英

Narumi Hiramoto, Yasuhide Yoshimura

showcase#10 “反響する違和感” curated by minoru shimizu

あらゆる芸術表現に先立つ最もベーシックな世界、つまり芸術の0度としての「日常性」やあるがままの「日々」は、写真表現の本質とされ、その目的であり続けてきました。しかし、2020年以来のコロナ禍がわれわれに教えたことは、その最も基本的な世界が、じつにフラジャイルなものであり、いとも簡単にそして何の劇的効果も伴わずに、崩壊してしまうものだということだったでしょう。外出を禁じられたわれわれは、今更のように、自らの日常生活と向き合うことを強いられました。意識下でわれわれを包んでいた環境は、不自由な拘束衣へと変わり、あるがままの日々は、どこかへ消えてしまった、その一方で、執拗に続くコロナ禍は未だ新たな「日常」の座を獲得してはいない。いま、あるがままの日常とは「あるがまま」が消えた違和感にほかなりません。  
10周年を迎えたshowcase#10では、この現況に写真で応える作家を2名紹介します。  
平本成海(ひらもとなるみ、b.1984)は2019年第20回写真「1_WALL」展でグランプリ受賞。実は、aka山崎雄策としてすでに2015年、showcase#4 "construct"に参加しています。一人の人格の中で、この二人がどのように棲み分けているのかは、平本=山崎のみぞ知ることですが、作品から見ると、前者は撮影しないで写真を作るタイプ、後者は撮影してから写真を作るタイプと言えそうです。  われわれの「日常世界」は写真で作られている、という認識から出発して、平本成海は ―トーマス・ルフの新聞写真のシリーズのように― 地方紙に掲載された写真を切り取り、つまり本来の文脈から独立させ、そこに様々な操作を加えてその「日常世界」を異化した、その結果を、その日のうちにSNSにアップします。河原温の日付絵画date paintingsのように、制作は1日で完結しなければなりません。  じつは「コロナ禍」は写真には写りません(コロナ感染者は隔離され、「コロナ」の名称の元となった放射状の姿は電子顕微鏡写真)。そのとき、日常を異化するコラージュは、コロナ規制によって異化された現在の我々の日常とどう関わるのでしょうか。  
吉村泰英(よしむらやすひで、b.1993. https://yasuhideyoshimura.com/)は、2020年度キヤノン写真新世紀優秀賞受賞。showcaseの新人として、本展では受賞作『馬の蹄』を展示します。どこにでもあるようなプレハブの小綺麗な家で、どこにでもいるような「僕」と「彼女」が、犬やうさぎが死ぬよりほかに起伏のない「平凡な日々」を上演し続けます。「馬の蹄」は西洋では幸運のシンボルですが、作品は「平凡な日々にこそ幸あり」という青い鳥のモラルを写し出す代わりに、小さな違和感や不気味さを澱のように溜めていきます。  作者は、知的障碍を抱えた人々の支援施設で働いているそうですが、そこは多種多様な日常世界がぶつかり合う場でもあるでしょう。ダイバーシティの日々は、そもそもの日常世界の複数性とそれゆえの脆弱性を肯定します。これらの写真はそこから生まれました。

eN arts

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